とらの家族論

一児の娘を持つIT系週末開発パパのぼやきと戯れ言。家族観・結婚観・育児観・教育観など。

依り添う

3組に1組は離婚

よく聞くやつですね。日本の離婚率は30%以上、3組に1組は離婚しているという話。でもこれ、実はちょっとしたトリックがあって、その年に結婚したカップルを分母・その年に離婚したカップルを分子にしているとのことで、結婚数自体も減少傾向な日本では、その出し方の数字はちょっと高く出てしまうみたいです。とはいえ、離婚率が高くなっている現状に変わりはないのですが。ちなみに離婚が世界第2位のアメリカでは2組に1組が離婚、世界第1位のロシアでは離婚自体をそれほど問題として捉えておらず、1〜2回は再婚するのは珍しい話ではないと思っている人が多いとか。お国柄もあるとは思いますが、先進国になると、お互い自立できたり、選べない方が幸せだった選択肢が見えてしまったりして、家の外の芝生が青く見えがちなのかもしれません。

「寄り添う」では主体的すぎて

今回は結婚観について書いてるわけですが、言いたいことはおおよそこれです。「夫婦、寄り添って」という言葉の尊さは世間一般では疑う余地はありませんが、とら的にはどこか主体的すぎるというか、自分で寄ることも・離れることもできるニュアンスをどうしても感じてしまうわけです。そんな自分で選べる寄り添いではなく、お互いが自分ではどうしようもできないところで支え合って、どっちかが動いたら倒れてしまうような「依り添う」という言葉の方がしっくりくるわけです。よく、人という漢字をある人を別の人が下で支えていると表現しますが、あのバランスでは片方がもう片方に依存しまくっているのでダメですね。かといって、人という漢字が完全シンメトリーになった背中合わせをイメージしてみても、なんかちょっと違う。実際は、もっと色んな場所・色んな角度で支え合って、複雑に絡み合っている感じです。

その先

更に言えば「こいつ(この人)は俺(私)がいなきゃダメだな」って思えるくらいになれたら素敵ですね。ベクトルは、相手に向いているようで自分に向いてて、でもやっぱり相手に向いているというか。こんな気持ちがお互いに少しずつでもあれば、結婚生活ってうまくいくのだろうなと思います。今このタイミングで、プロポーズすべきかどうか悩んでいる日本男子の方へ。少しでも共感できたなら、結婚生活がうまくいく必要条件の半分は満たされているでしょう。でも、うまくいくかどうか、やっぱりもう半分は相手に依るんです。慎重に。少なくとも、今はそんな事を思っています。結婚歴数年の青紫のとらが語った結婚観です。結婚何十年のベテランな方々にはきっとまた別の世界が見えているのだろうとは思っていますが、少なくとも今はそんな事を思っています。

今週のとらのつぶやき

せっかく夫婦の絆についての話を書いたのに、冒頭の離婚率の説明に起因してか関連広告表示の「別れさせ屋」の主張がすごいこと。それではまた、いつの日か。